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2007年5月 8日 (火)

本を読め、本を!

「偏屈先生は言葉が難しい」というコメントをいただいたので、書いてみる。
このコメントをくれた方は、PCで漢字変換ができているところを見ると「彷徨く」が読めているわけだ。ちなみに「うろつく」と読む。「彷徨う」の場合は「さまよう」だ。
「むべなるかな」は「もっともなことだなぁ」くらいの意味。「すこぶる」は「非常に、たいそう」の意味だ。
まあ、PCを使っていれば書けなくても不便はないからな。

それより気になったのが、小学校2年生は約30%が「一つ」という漢字が読めないという調査結果だ。「八つ」も「やっつ」と読めないらしい。
一言で言えば、バカである……親が。親がバカなのである。本当にバカだ。賭けてもいいが、この「できなかった」小2生徒の親は、絶対に本を読んでない。それどころか、貸しビデオ屋にたむろして、深夜でも幼児を連れて借りに行っちゃう輩だ。子供には『クレヨンしんちゃん』とかを借りて与えておけば良いと思ってるわけ。
偏見? 偏見ですよ。だって、家の近くのTSUTAYAにはそういう人がいっぱいいますもん。
別に漢字検定を受けろってことじゃなくて、要は知識を自ら吸収できない層が多いってこと。TVとかは勝手に情報が飛び込んでくるでしょ。でもそれはあくまで「情報=データ」でしかなくて、「知識」じゃないわけだ。「知識」というのは、「情報」を自分なりに噛み砕いて頭の中の整理ダンスに入れた状態を言うのである。

その整理ダンスを作りたければ、もう本を読むことだ。本は言葉以上の具体的なイメージを与えてくれない。イメージは自分の頭の中で具象化しなくてはならない。だから、その過程を構築できない頭がパーの人達にとっては苦痛のタネでしかないのだ。逆に、イマジネーションを働かせることのできる人々にとっては至福の瞬間となる。

「一つ」だって、「八つ」だって、絵本でも本でも、自分で読んでいれば難なく読めるはず。それができないのは側にいる大人が本そのものを読まないからだ(キッパリ)。
ひとつ自慢させていただくと、偏屈先生は幼稚園の時から読売新聞の社説とか「編集手帖」とかのコラムを読んでいた。あ、「人生相談」もだ。おまけに、家にあった世界文学全集で『赤と黒』とかも読んでいたぞ。
ま、別にそれが偉いわけではないが、本を読む楽しさを享受できないのは悲しいことだ。
※「きょうじゅ」と読む

ただし、あまり早熟だと誰かさんみたいに偏屈になるので、ほどほどに。

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