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2008年4月25日 (金)

作戦ミスと無神経

例の事件の話です。光市の母子殺人事件。
もう、すっごく沢山の人がコメントしているので、今さらなんですけど、ちょっと偏屈先生風に述べてみたいと思います(お、今回はテーマがテーマなんで、丁寧な口調だ)。

まず第一に、「死刑」という結果の是非はさておいて、問題は、良く言われるように、なぜこれが最高裁から地方高等裁判所に差し戻しになったのかということですよね。差し戻しになった時点で、明らかに最高裁の意思は「厳罰あるべし」ですもんね。だったら、最高裁でそう審議し判決を下させばいいのではないかと。それをいちいち地方高裁に差し戻せば、無駄に時間が掛かるだけなのでは? この辺が解せません。まあ、結果的に上告棄却になるかもしれないですけどね。
第二に、この結果は弁護団の責任です。まあ、最高裁から「厳罰に処さない理由がない」ということで差し戻しになった時点で、すでに死刑の臭いがぷんぷんしておりましたが、一般にこれくらいの事件で、加害者が少年、しかも初犯の場合、無期懲役が妥当というのが「常識」だったと言われています。現実に、一審・二審では「無期懲役」だったわけですから。ただ、判決が差し戻ってしまった時点で、新しい弁護団の方は「状況が不利だ」と考えたのでしょう。また、「死刑廃止」論者の方々が加わった時点で、この世間的に注目度の高い事件で自説をアピールし、あわよくば世論を引っ張りたかったのでしょう……つまり、(これはあくまでも印象に過ぎませんが)被告の利益よりも自分たちの主張したいことを優先させた、換言すれば、被告とこの事件を利用して自己の利益を追求したと思われます(しつこいですけど、あくまで印象です)。
その結果、一審・二審で争点となっていた「殺意はあった」ことを認めた上で、「被告の悲惨な、情状酌量すべきバックグラウンド」を明らかにし、「更正が可能な存在」であることをイメージ付ける作戦から一転し、「殺意を否認」した上で「不慮の事故」で死亡に至らしめ、かつ「すでに反省している」ことで、死刑回避どころか、「無実」を主張したわけです。つまり、 All or Nothingで大逆転を狙ったと。その挙げ句、「逆手で喉を押さえたら死んでしまった」ので、死姦をして「魔界転生」で死人を生き返らせるつもりだったとか、「ドラえもんが助けてくれると思った」説が突如出現したわけです。
これらの主張がどのような結果を生んだか。そう、世間の反感を買っただけ。もし、死刑を回避するだけなら、もっと方法はあったはずなのです。事実、マスコミ関係者の多くは、当初死刑になるなど考えていなかったのですから。
被告が本当に「魔界転生」とか「ドラえもん」を信じていたのかはわかりません。でも、仮にそれが本当だったとして、それを主張することが本当に得策だと弁護団は信じていたのでしょうか? それが、マスコミをはじめとした世間に受け入れられるとでも思っていたのでしょうか? もしそうだとしたら、それは……ハッキリ言って、「バカ」ですよね。

最後に。ちょっと汚いことを書きましょう。
今回の弁護団によると、少年は「寂しくて話相手になる人を探して(電気だか何かの)点検を装って、ドアを開けてくれる部屋を次々と探していた」ら、被害者が中に入れてくれたので嬉しくて抱きついたら抵抗されたので、静かにさせようとしたら、「たまたま手が喉に掛かって死んでしまった」ということでした。でも、そんな状況で男茎は「絶対に勃起しません」よ。当たり前でしょう。殺すつもりもない人が死んでしまった。自分が(結果的に)殺してしまった。そんな状況で、チンボが起ちますか?……始めから、「ヤル」つもりでなかったら、絶対に死姦なんかできません。

もし、自分が殺した人間を見て、そこで初めて勃起したのなら。
本当に「魔界転生」で人が生き返ると思ったのなら。
「ドラえもん」がどうにかしてくると信じたのなら。
……ゴメンなさい。そんな人は、永遠に街に出てきて欲しくありません。

もうひとつ。
偏屈先生としては、この被告は「執行猶予付き死刑」になれば良いと思います。執行猶予の期限はありません。無期限です。その上で、生殺与奪権を被害者の遺族に差し上げましょう。奴隷として使うもよし、「死んでしまえ」と思えば、「NG」と宣言して頭に埋め込んだ爆弾が破裂するボタンを押せばよいのです。そのボタンは被害者一家と裁判所が持つことにしましょう。世界中どこに逃げても破裂させることができます。ボタンを押すまでが「執行猶予」です。上手くいけば、一生押されないで生きていけるかもしれません。
被告は、死の恐怖に怯えて暮らすことになります。そんなことを言うと、自称「人権家」の方々は、そんな非人道的なことが許されるはずもないと目を三角にして怒ることでしょう。しかし、ちょっと想像してみてください。見ず知らずの男が自分に迫ってくる光景を。喉を潰され、徐々に呼吸ができなくなる苦しみを。もし、万が一意識があったとしたら、自分の子供を床に落とされた時の「ゴッ」という鈍い響きを感じる哀しみを。
もし、被告が生きていたいと願うのなら……人権弁護団の方々が更正が可能だと主張されるのなら……「生」の権利を剥奪され、陵辱される苦痛を、感じ続けていくしかないと、先生は思いました。
そんな事件でした。まだまだ、先は長そうですけどね。

P.S.他人の「権利」を奪うことは、何人たりとも許されることではありません。この光市の事件は、その極端な例かもしれませんが、同じような事例は、もう枚挙に暇がありません。「自分では自殺できないから人を殺して死刑になりたい」「誰でも良かった」などと言う卑怯者は、あえて殺す必要はありません。上記の「執行猶予付き死刑」に処すればよろしい。
でもまあ、日本全体が他人の「権利」を奪うことの罪に無頓着な風潮になっていますね。先日も、KQに乗っていたら、こんなことがありました。
偏屈先生は車両の先頭の端に立っていました。目の前のシートには、女性が座っていました(五人掛けの長いシートです)。女性の隣には、40歳くらいの母親とその子供(女子中学生)が座っていました。左から、先生の目の前の女性、子供、母親の順番です。子供と母親の前には、40絡みの男女……会社の同僚って感じの二人が無頓着に立っていました。別に特に座りたそうな感じでもありませんでしたし、また、目の前の親子と関係があるわけでもありませんでした。後から乗り込んできた先生は、ちょうど空いていた空間に立ったわけです。
ある駅で、先生の目の前の女性が席を立って降りようとしました。先生は、ちょっと体をよけて、女性をスムースに出られるようにしてあげました。すると、座っていた子供と母親が横にずれてきて、先生が座ろうとした席を占拠しました。先生が座ろうとしたにも関わらず、です。先生は「それはルール違反だから止めた方がいいですよ」と注意してあげました。すると母親は「ルールって何ですか?」と聞くので、「立っていた前の席が空いたら、そこにいた人間が座るのは常識でしょ?」と諭すと、「ずっと立っていた女の人を座らせてあげた方がいいでしょ」と反論してきました。
皆さんはどう思われるでしょうか? 先生はこう考えます。
●座っている者が、よりよい空間を占めるために、他者の権利を剥奪する権利はどこにもありません
●自分が座っている場所以外の空間の使用に関して、指図をする権利は、誰にもありません
●もし百歩譲って、立っている女性を座らせてあげたいなら、そのために権利を有する者(この場合は明らかに先生)に、それを譲る意思があるかどうかを確認するべきであり、またそれを決定するのは、あくまでも権利を有する者でしかありません
●また、本当に女性を座らせたいのであれば、自分、もしくは自分の子供を立たせれば良いのであって、自分の権利は一切譲らずに、他人の権利は剥奪しても差し支えないと考えるのは矛盾があります

以上です。結局、自分が良ければ、他人の権利など奪っても構わないわけです。その際に、文句を言われれば誤ればいいのですから。でもね、死んでしまって文句の一言さえも言えない哀れな人を、このような輩はどう思っているのでしょうか。程度の大小はあれど、やっていることは同じなのです。
もっと悲しいのは、この子供がそれを当然だと言う顔つきで座っていたことです。「お母さん、恥ずかしいからやめなよ」「もう座ってるんだからいいじゃん」と何故言えないのでしょうか。このバカ娘も、あと何年後には堂々と他人の権利を踏みにじる「立派」な大人に育つのでしょうね。

先生は、日本は住みやすいところだと思っています。でも、日本人は、本当に下劣になったとしばしば感じています。
本当に、外国に移住することを考えています。だって、海外は危ないですけど、こういう感じで不愉快になったことは一度もないですから。

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