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2008年9月

2008年9月29日 (月)

秋に想ふ

つれづれなるままに。

秋ってのは、突然にやってくるものです。
昨晩は寒くって、いきなり風邪を引いてしまいました。
偏屈先生は、ほぼ毎日エスタックの顆粒を飲んでいるのですが、何も効いていないということなのでしょうか。まあ、使用法が間違っているということなのかもしれません。
しかし、この間違った慣習のために、内臓の抵抗力がゼロになった気がします。おかげで、先月受けた人間ドックの結果では、過去最高の再検査・精密検査数となりました。
本当にありがとうございました。
キリギリスみたいな命なのでしょうか。

キリギリスで思い出したのだが、昔話の『アリとキリギリス』は、元々『アリとセミ』だったそうな。セミという昆虫は、ヨーロッパでは数が少ないし、そもそも害虫扱いされているので(うるさいから!)、例え話には相応しくなかったらしく、誰かがキリギリスに変えてしまったようなのだ。でも、セミは地上に出てから7日間で死んでしまうわけで、そりゃ蓄財なんかするわけがない。話のテーマが根本的に変わってしまうと思うのだが。

セミでまた思い出した。以前、あるポスターで芭蕉の「静けさや 岩に染み入る蝉の声」の声を英訳したことがあり(先生が翻訳したわけじゃない)、その際に「岩に染み入る」という意味で、soak into the rocks(だったと思う)という表現を使っていた。実はそのときまでsoakという単語を知らず、へぇと妙に感心したものだった。広告もたまにはタメになるという話。ゴメン、ただそれだけなんですけど。

あ"ー。
山手線の中で、ガラガラとけたたましい音がする。床に何か硬いものを引きずるような。何かと思って振り向けば、木靴を履いて歩いているバカがいる。しかもオランダ人並みのヘヴィーなやつだ。偏屈先生は昨年本場オランダで木靴を作る作業を見学してきたのだが、いくらオランダといえど湿っている地面の上を歩く以外に木靴を必要とするシチュエーションはない。しかも、オランダのそれはフィット感を考慮して(?)割と薄く軽く、しかもちゃんと塗装まで施して作ってあるのだが、東京のそれは「お前、いま丸太をくりぬいて来たんとちゃうか?」と言わんばかりの荒削りな仕様。まるで一刀彫の木造である。
結論。日本には木靴は合わない。だって、オランダで木靴が発達したのはぬかるみが多くて、革靴では不都合が多かったからだが、日本、特に東京なんてぬかるみなんぞありゃしない。あ、東新橋ならいいかも。別の意味で「ぬかるみ」だし(笑)。
そこで芭蕉に倣って一句。「○ィーダ○リュ、どこまで続くぬかるみぞ」。季語がない(笑)。

なぜミニPC?
HPとかAcerとかASUSとかから、いわゆるミニPCが百花繚乱の如く発売されており、すごく好調なのだとか。富士通も追随するらしいし。
特徴は安いことだ。59,800円~79,800円くらいで、そこそこの最新スペックが手に入るのは確かに画期的だ。しかも、ワイヤレスLANとかの通信機能も充実しているので、セカンドPCとして最適だ……本当かよ?
先生的には大いに疑問だ。だって、PanasonicのLet's noteのRシリーズと比べれば一目瞭然。これらのPCは「重い、大きい、駆動時間が短い」んですよ! 画面サイズがせいぜい8インチ台なのに、本体サイズはPanasonicとほぼ同じくらい。しかも、重い! HPなんか200グラムも重い! さらに、駆動時間が極端に短い。Panasonicの1/3くらいでしかない。なんでこれがもてはやされるのか、さっぱりわかりません。みんな、知らないのか?
そりゃ値段はミニPCの方が全然安いです。だったら、中古を買えばいいんです。現在のR7じゃなくて、R3かR4くらいならミニPCと同じくらいの値段ですし、画面も10.4インチと遙かにデカイ。まあ、CPUは古いし、HDDの容量も少ないけど、許容範囲ですよ。タイピングだって、絶対にこっちの方がやりやすいはず。
あ、先生のR3を中古で高く買えとか、そんな意味じゃないですからね。でも、誰か高く買ってくれるとうれしいですけど。

『Dream Fighter』。ドリームファイターですよ。どりぃむふぁいたぁ。
え、何がって? 11月19日に発売されるPerfumeの新譜(シングル)です。
『love the world』のときもダサイな、と思いましたが、今度はもう笑うしかありません。モー娘。とかが歌いそうなタイトルです。これで紅白に出るのでしょうか?
う~ん、どうでしょう。まだ曲を聴いていないので何とも言えませんが、はずしそうな気がしますけどねぇ。

そういえば、今年はコスモスも曼珠沙華もまともに見ていないな。
旅行にも行ってないし。
秋が実感できてねぇ。

P.S.中山元大臣の失言問題ね。ありゃ、言ってることに問題があるっていうより、言い方だよね。もしも「確信犯」なら辞めないで主張し通せばいいのだし、そもそもタイミングが悪い。まあ、頑張ってもらいたいです。自民党に投票しないけど。

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2008年9月21日 (日)

大本彩乃さんの20歳の誕生日によせて

のっちさん、20歳のお誕生日おめでとうございます。
別に知り合いでも何でもないのですが、まあ、いちファンの戯言ということで。
自分が20歳の頃……ああ、もう遠い記憶の彼方だ……どうだったのか、全然思い出せません。確か、背中まである長髪だったような気もします。成人式にも行かなかったし。酒もタバコも飲まないから、あまりメリットもなかったし。

そんなおめでたい日なのですが、どうしても書きたいことがあったので、ちょっと嫌な話を書かねばなりません。まあ、Perfumeにも大いに関係のあることなのですけど。

お題目は、「ネットという拡散し尽くしたメディアの中で、ブログという手段で声をあげることの危険性について」です。

まず、興味のある方は下のブログを見てください。

戸田恵梨香よりむしろPerfumeの踊りの方がきつい

次にこれを。同じ著者です。

Perfumeのダンスはなぜ物足りないか

今回、このブログを引き合いに出して、偏屈先生が言いたいことはこうです。「自分の主張をさも論理的であるかのように見せ、『お前らみたいなバカにはわからねーだろうが、俺だけはちゃんとわかってるんだぜ』的な偏見主観論を展開するのはやめろ」。つまり、これは悪い見本です。単純です。

この人の言いたいことはこうです。最初のブログでは……

・戸田恵梨香はダンスについてのものすごい才能がある。しかしそれは、一見してなかなか伝わらないもの
・それ(戸田恵梨香とか新垣結衣)に比べると、多くの人が上手いと思ってるPerfumeのダンスの方が、実はほとんど価値がない

・こういう人(Perfumeファン)なんかは、ダンスを理解していない典型だ。Perfumeのダンスを見て「気が狂」う必要なんて全然ない。「踊りができて」なんて全然いないから。あんなのちょっとの練習で誰でも踊れるようになる。むしろ、気が狂うなら戸田恵梨香に対しての方が良い。このダンスは、真似したくても絶対に真似できないものだから

次のブログでは……
・ダンスとは動きと静止である
・ダンスとはリズムである
・ダンスとは緩急である
・ダンスとはディテールである
・ダンスとは表情である

・彼女(Perfume)たちの身体にはリズムが入ってないのだ。ただ時間に合わせ、決められた動きをなぞっているに過ぎない。彼女たちは音楽を感じていない。彼女たちはリズムを感じていないのだ
・彼女たちには果たして、「自分たちの動きで見る者を楽しませよう」という、そのマインドが本当にあるのか

・彼女たちのダンスは、手足に神経が行き届いてもいないし、顔の表情だって、ありきたりな、どこかで見たような顔ばっかりだ。一体、彼女たちはこれまで何を習ってきたのだろう? エンターテインメントというものを、どのように考えているのだろう?
・彼女たちには表現することへの喜びというものはないのだろうか? 人をワクワクさせてやろう、驚かせてやろう、魅了してやろうという気概がないのか?

・彼女たちには、エンターテイナーなら誰でも持っていなければならないはずの、「表現欲」というものがまるでない。「感じられない」のではなく、「ない」のである
・ダンスは下手くそだと言っているのである。その上、ダンスを良く見せようという気持ちも感じられない。だから、彼女たちのダンスは見る価値がないものと断定したのだ

コピペするだけでも、何だか胸糞が悪くなってきています。
これらの主張に対しては、ダンスの専門家の方が、以下の反論をしてくれていますので、技術論はそちらにお任せします。

perfumeのダンスを責める理由がただの俗流若者論

正直、好きなものをけなされると頭にきます。しかも、この主張の証明のために「悪いサンプル」として提出されているのが、偏屈先生のもっとも好きな『SEVENTH HEAVEN』のダンスですから、怒りも倍増するというものです。

何が先生をそこまで怒らせているのか? この著者(aureliano氏)は、自分のプロフィールでこう語っています。

ぼくは面白いことが好きです。特に、面白いことを考えて、誰かを楽しませることが大好きです。
そのために、ぼくはこれまで「面白いとは何なのか?」「面白いとはどういうことか?」を、色々と考えてきました。その結果、「面白いとはこういうことなんじゃないか」というのが、少しずつたまってきました。
そのたまってきたものを、このブログでは書いて行きます。

確かに面白いです、このギャグは。これだけ他人を不愉快にさせて、「面白いとはこういうことなんじゃないか」と考えていると。これは、自分ツッコミなのでしょうか?

先生が不愉快に思うことは、こういうことです。
この人は、自分がダンスの経験者だが、1年で止めているし、よく知らないと謙遜して言っています(ただ、その後にずっとダンス関係者と交わってきたとフォローして、素人ではないと匂わせていますけど)。
まあ、中途半端な知識しか持っていない、もしくは「知識としては持っているが、それを実行できない」人と言えるでしょう。多分、後者なんでしょう。ダンスというフィジカルかつエモーショナルなものを、理屈として理解しようとしているわけですね。
そういう人が、もう9年間もダンスをやっていて、少なくともプロとして人前でパフォーマンスをしている「現役」を、「価値がない」と断定し、ファンに「Perfumeのダンスを見て気が狂う必要なんかない」と説教をするわけです。凄いですよね。しかも、このPerfumeファンは、「Perfumeが好きで気が狂う」と言っているのに、それを無理矢理「Perfumeのダンスを見て気が狂う」にすり替えてしまい、なおかつこの説教ですから。

Perfumeのダンスが上手いか下手か、それは誰か他の人に判断してもらえばいい。問題は、実際にそれを見て、「感動する」「楽しい」「喜びや癒しを感じる」人が大勢いることです。それをこの作者は自分の主観で、その事実を覆ってしまっている。「人をワクワクさせてやろう、驚かせてやろう、魅了してやろうという気概がないのか?」と彼は言いますが、偏屈先生はまったくそうは思わない。まず、TVなどの公共の場で彼女たちは「Dancing Doll」を演じることで、人々を魅了している。そして、ライブでは、訪れてくれたオーディエンスと一体になって「楽しむ」ことに終始しているのです。

著者は自分はPerfumeが嫌いなわけではないと言うけれど、それは嘘でしょう。戸田恵梨香が好きならそう言えばいいだけのことなのに、自分の都合のよいファクターだけを切り出してきて皆の認める価値(=Perfume)を落とし込めることで自分の見識眼を正当化し、その「識者」の認識こそが事実のすべてであるかのように見せかけるのは、まったくの詭弁的手法でしかありません。もし、大勢のファンの感情が本当に感じられないのであれば、それは感情のインポテンツなのでしょう。

次に、彼は現代的なエンタテイメントというものを理解していないのではないかということです。
ダンスは彼女たちのパフォーマンスで大きな位置を占める要素です。でもそれは、すべてではない。Perfumeのダンスは、基本的に彼女たちの歌の世界を三次元的に表現するもの=振り付けでしかありません。ですから、ある時はリズムに乗り、またある時は歌詞に乗るのです。これが不連続で繰り返されるために、あの簡単そうで簡単ではないダンスになるのです。つまり、振り自体は確かに簡単だけれども、その歌における自分たちの役割(メンバーによって異なります)、世界観を完璧に把握していなければ、ああいう風にはなりません。プロなら振りを真似ることは雑作もないことでしょうが、それは決定的にPerfumeのそれとは異なるはず。加えて、絶対的なリズム感があるからこそ、リズムを「わざとはずして歌詞に乗せる」ことが可能になるのです。
この著者はダンス経験者とのことですが、多分、そういう意味でダンスを見たことも演ったこともないはずです。TRFでのSAMや、SPEEDの後ろ二人が、なぜほとんど歌わずにダンスに専念していたのか、それを考えればわかるはずでしょう。歌いながら踊ることは、本当に難しいのです。よく素人がPerfumeのダンスのマネをしますが、歌い、かつ3人のフォーメーションを逐次変えながら踊っている人は皆無です。「振りは簡単だけれども難しい」……これが事実だと、偏屈先生は考えます。

最後に。
実は、こういう人は昔からよくいます。例えば、ギターをすごく練習して、テクニックをひたすら磨いている人。こういう輩は、例えばDeep Purpleの『Smoke On The Water』とか定番ナンバーを簡単にコピーできます。で、「リッチー・ブラックモアなんか下手くそさ」とか言うのです。でも先生はこう言いたい。「じゃあ、お前がそれ以上に曲にぴったりで、人々を感動させるソロが弾けるの?」
先生は知っています。リッチーよりも何千倍も上手い(と言われる)現代某ギタリストの『Smoke On The Water』がクソつまらないことを。
そりゃあ、オペラ歌手とか声楽家から見ればポップス歌手なんか、「全然基礎もできていない」「下手くそ」でしょう。でもね、オペラは眠ってしまうけど、YUIとかのたどたどしい歌に感動することだってあるんですよ。
音楽もダンスも、知識でもなくテクニックでもなく、ましてや「他人をくさす」ことではないのです。
「見る価値がない」と思うなら、それをそっと自分の胸に秘めておけばいいのです。何も、自分が感情インポであることをさらけ出すこともないでしょうに。
著者さん(aurelianoってことは、ガルシア・マルケスが好きなんですかな)。「表現欲がまるでない」とか、キミになぜPerfumeのメンバーの考え方がわかるのかな? 確かに素人は「ダンスを理解していない」し、キミが引き合いに出した素人さんは無知の「典型」かもしれない。でも、ダンスを見る人はそういう人ではないでしょうか。もしそういう「理解していない」人は見なくてもいい、「理解している」人だけが見ればいいというのがキミのダンス観ならば、偏屈先生は、あえてこう言いたい。
キミが考えている「面白いとは何なのか」は永遠にマスターベーションでしかない。

マスターベーションは、他人の見ていないところでこっそりとやるものだよ。

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