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2008年10月14日 (火)

狭小社会からの脱却(笑)

初代ガンダムで有名なアニメーション監督の富野由悠季が、韓国でアニメーターを目指す若者に向かって、有能なアニメ作家になるためのアドバイスと称してこんなことを言っている。
「アニメを一切見るな。」

一見するとハチャメチャな論理のように思えるが、偏屈先生的には「我が意を得たり」という感じだ。だって、先生がこれから話そうと思うことはこういう内容だもの。
「今のマンガがつまらないのは作家と編集者がマンガを描こうとしているからだ。」

誤解を恐れずに言うと、今のマンガをつまらなくしているのは読者のせいでもある。
もっときちんと言うと、読者が「自分が面白いと思う」領域以外を認容する能力を失っているからである。
現在の日本は……世界中そうかもしれないが……偏屈先生の目からは断片化された社会に見える。この説については後日ちゃんと書くつもりだが、すごく簡単に言うと、自分と「他」との世界観の違いを許せなくなっているのだな。ちょっと前までは、「他人のことは無関心=興味のない対象には無反応」という、ある意味西欧の個人主義を取り違えた平和な対応だけだったのだが、ネット社会の浸透にともなって、「匿名で他人を攻撃する」味を覚えてしまったというわけだ。

これが何でマンガの衰退につながるのかというと……現在のマンガ雑誌の潜在読者は、平均して一雑誌中の何作品を見るのだろうか? ひと昔前なら、10作品載っていれば少なくとも8作品くらいは見ていたはず。よほど嫌いなもの以外は、とりあえず見ていたのではないか? それが今はどうだろう。たぶん、よくて2~3作品程度。他は見てはいても知覚していない。その結果、雑誌を買わない。だって立ち読みで十分なんだもん。コンビニの発展がこの傾向に拍車をかけている。
見ないだけならまだいい。困ったことに、見ない=自分の指向(嗜好)に合わないものを排除する行動を多くの読者が取るようになってきたのだ。自分の気にくわないものは潰しにかかる。ネットでクソミソに言う。挙げ句の果ては、見てもいない作品のネガティブな妄想レビューをamazonあたりに投稿したりするのだ。病気だよな。
なぜそんなことに異常な執念を燃やすのかさっぱりわからないのだが、実際にこういう輩が多い。
こういった「超狭小指向」の読者に対して、出版社はどう対処できるのか? 問題は、編集者も作家も大同小異ってこと(笑)。で、結果としてすっごく狭い世界観で「受け」を狙いに行くわけだ。曰く、「萌え~」ってヤツとか、死神が操作系の能力を使って刀でバトルする、いかにもありそうな話とかね。
ある程度、「こんだけやりゃそこそこ受ける」というボーダーラインを、作家が意識するようになった。大きな世界観の作品は、(もちろん作家の力の無さもあるのだけれど)どうせ佳境に入る前に潰される。「ならば安パイで」と無意識に低いレベルで作品の質を定義し、展開を無視して早め早めに受け狙いに走る。もぉ、サラリーマンじゃないんだから(笑)。
ベテランはどうしても過去の栄光が忘れられず、お手軽な萌え系に走れないので、大ヒットを狙って大きな作品を描こうとしてしまう。大作になればなるほど、世界観の説明に誌面を要する。つまり、面白くなるまでに時間がかかる。結果として、読者は(ジャンプならば)10週間も待ってくれず、惨敗。あの鳥山明だって、『ドラゴンボール』の後は全部ダメだもん。『ONE PIECE』が最後の大作なのかも。まあ、例のジャンプ方式の弊害とも言えるだろう。

小ヒットの連続。しかもクリーンヒットじゃなくてセーフティバント安打。バントじゃ4本連続でヒットにならないと得点は入らない。つまり、雑誌は売れない。結果的に、読者にも自分の好きな作品をチョイスして見る習慣がついてしまう。で、好きな作品以外は全否定。だからコミックスは売れるが雑誌が売れないという珍現象が起こるわけですよ。

で、冒頭の富野由悠季の話に戻るのだが、つまり作家も編集者も、「マンガの読者に受ける」形を既存マンガの中に求めている限りは、この関係性は永遠に変わらないということだ。
実は、読者も同じ。本当に面白いマンガが読みたいのであれば、「マンガってこんなもんだよね」という「形=勝手な自己定義」をまずブレイクしないと何も生まれない。自分の指向に合わない=つまらないという固定観念を捨てない限りは、何も新しいものは生まれてこない。
マンガしか見ていないと、マンガ的表現……表層のレベルで作家と読者が共有できる記号的所作……しか理解できなくなる。つまり、オタクなら誰もが知っている描き方でしか描けなくなる(どういうものかは、あえて書かないけど)。本来の作家の個性を発揮するよりも、そういう安パイ要素さえキープしていれば、とりあえず連載は続けられる。でも、問題は、一般読者が逃げていくことなのだ。

現在のジャンプなどを見ていると、びっくりするほど世界観が似た作品の陳列棚のような感じがする。
例えば、あなたがiPodが好きで自ら購入したとする。電気店で自分の好きなiPodが陳列されていた。その横に新製品のWalkmanやら似たツールがずらっと並んでいたら、あなただって「ふん」と鼻で笑うか、「けっ」と敵意に満ちた目で睨むかもしれない。似た商品、同ジャンルだからこその敵意。他の類似品を否定する=自分の指向を自ら肯定すること。そんな感じ。わかる?

業界的視点。スラング。共有意識。共通記号。そんなものを、リスクを犯してぶっ潰す、あるいは無視すること。違う世界からの新鮮な視点と業界内では思いつかない発想……ぬるま湯から抜け出す勇気を、発信側/受信側双方が持つこと。そうしない限りは、100万年経っても状況は好転しないのだな。
で、肝心なポイントは「成功したいのであれば、まずぬるま湯から抜け出せ!」。富野先生はそう言いたかったのだと、勝手に拡大解釈してみた次第。

実は、ケータイ小説とかも同じような問題を抱えている気がするのだが、もうすぐ品川なので、その話はまたの機会にするとしよう。

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