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2012年3月11日 (日)

あれから一年が経ちました

時の経つのは早いもので、もう366日が過ぎ去ったんですね。

去年のあの日は、徹夜仕事が終わらず午後2時過ぎまで自宅作業をしていて、ああ終わったなとPPTファイルをメールに添付して送った直後にあれが起こったのでした。
偏屈先生のボロ家も相当揺れたと言えば揺れたんですが、「長いな」というのが正直な感想でした。ただ、その揺れ方で「ああ、これは震源が遠いんだな。でもこれだけ揺れたってことは、震源近くは相当ヤバいんじゃね?」とも思いましたね。
果たして、その嫌な予感は大当たりで、まあ、ああいう状況になってしまったわけです。

ただその時は、自宅の被害が極めて軽微だったこともあって、「仕事が一段落ついたんで会社に行こう」と思っていました。実際にKQの駅まで行きましたもん。そうしたら、駅舎は真っ暗で人がごった返しており、駅員が大声で怒鳴っていたと。曰く、「地震の影響で全路線に被害が出ており復旧の目処が立たない、JRも全面的に止まっていて、振替輸送も不可能だ」とか。JRに乗れずにKQに流れて来た客もいて、肯定的な話をしていましたし、何よりいつもはポワポワしきっているKQの駅員の顔が引きつっていたので、ああこれは結構ヤバいことなんだなーと、その時に初めて認識しました。

仕方なく家に戻り、自宅作業に切り替えましたが、何せ会社に電話がつながらないし、ネットは見られるのですが、VPNは無理だったので、送ったデータがどうなったのかもわからない。さっきまで作っていたデータは、11日の17時締め切りのコンペ企画だったものですから、もうヤキモキしたのなんの(現実的にはコンペ自体が延期になって事なきを得たんですけど)。できることは何も無くなりました。で、仕方なくずっとTVを見ていました。

あの日のNHKの映像は、死ぬまで忘れられません。
初めはよくある沿岸の中継でした。結構みんなお気楽で、海がどうなっているのかわざわざ歩いて見に来る人々が大勢いて、画面はそんな「よくある災害の後」の光景を映し出していました。海辺の道路には、いつものように、いつもの道を走っている車が見えていました。地震の影響範囲が広かったためでしょう、多くの平凡な都市レポートが、数分おきにスイッチングされてローテーションしていきます。
すると、変なことに気付いたのです。ぐるっと回ってまた元の都市に戻ると、先ほどレポートされた時と同じカメラ、同じ角度の映像のはずなのに、様子が違うのです……水面の高さが違うだけでなく、明らかに景色が「厳しく」なっているのです。どう説明していいのかわからないのですが、破滅の匂い、とでも表現した方が良いかもしれません。
海は、みるみる大きな黒い塊になって、水産加工場や堤防や駐車場を覆っていきます。先ほどまでの見物人は、誰もいません。見物人のいた場所……防波堤の後ろの駐車場や海辺の道路は、すでに水没しています。
それなのに、そこに何も知らない軽自動車が、自ら突っ込んでいきます。「ああ~、バカ! 戻れ!」と何度も画面の前で叫びましたが、画面の向こうの運転手にその声が聞こえるはずもありません……。
画面はヘリコプターからの映像に切り替わります。本来ならば、津波などとは無縁のはずの内陸部にある家や畑や田んぼや車やコンクリートの建物までもが、黒い水と瓦礫の山に押し潰され、流されていきます。
TVからは、冷静なアナウンサーと呑気な解説者の会話が流れています。他人事会話の背景の画面では、あってはならない地獄の光景が繰り広げられています。

偏屈先生は、もちろん何もできませんでした。多くの人々が死に面し、暮らしが崩壊していく様を、ただ見続けることしかできませんでした。
無力。
あまりにも人間は無力でした。常識は通用しませんでした。

そして、自分の人としての自我も、黒い瓦礫の海に沈んでいくような、確かな感触に浸っていたのです。

その後、私たちの暮らしは一時的に不便になりました。景気は悪くなり、「放射能」という目に見えない脅威にさらされ、おびえて暮らさねばならなくなりました。
でも今、一年経って何もかもが過ぎ去ろうとしています。正直言えば、1万8000人もの死者・行方不明者が出た未曾有の災害であっても、痛みが引いてしまえば他人事でしかありません。もし、原発問題が無かったら、東北の人々以外で、その痛みをいまだに共感し続けている人々がどれほどいるでしょう?

人間は無力です。無力だからこそ、忘れることで生きるしかなかったのです。
津波だって、地震だって、戦争だって、人間の記憶力が本当に優れているのなら、被害は最小限に防げるはず。でも、人間は愚行を繰り返し続けます。
誤解を恐れずに言わせてもらえば、それはそれでいいのかもしれません。死すべきものは滅び、また新しい何かが芽生えるべきなのかもしれません。それが、歴史というものなのかもしれません。

最後にこれだけは書いておきます。
人間の肉体はいつかは滅び、街も文化も消え去っていきます。
ただ、それを恐れてはいけません。失ったものを悔やみ悲しむのではなく、次のカタチへ「再生」させてあげること……それが大切なのです。
生命は輪廻し、文化は昇華していきます。忘れ去ることに恐怖するのではなく、その意志を継ぎ、形を変えてでもバトンをつなぐ。偏屈先生は、それが亡くなった方々への最大の供養になると信じています。

残された皆様には、後ろを振り返らないで生き続けてほしいと切に願ってやみません。

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