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2012年5月21日 (月)

金環日食と生活保護

今朝は金環日食(または金環食)だったそうで。
東京で金環日食が観測できるのは173年ぶりとかで、朝っぱらから各TV局が大騒ぎしていましたね。
で、偏屈先生はというと……興味ないから何も見ませんでした。TVは見てましたけど、東京スカイツリーとのコラボとか何とか言って、無理矢理盛り上げよう感があまりにも露骨なんで、完全に白けてました。

別に太陽が欠けようが大したことじゃないので(←ウソ)、どうでも良いんですが、あまりにも周囲が騒ぐので、そんなもんなんかなーくらいには感じていました。
どうでも良いと言えば、俳優塩谷某の二股騒動。別に独身男性が独身女性に二股掛けたってどうってこたぁないでしょ。
とりあえず俳優だし、そこそこイケメンなんだし、仕方ない……とは言わないけど、そんなTVやら雑誌やらが寄って集って責めるほどのこともないような。

そんなことより、河本準一の生活保護不正受給問題の方が、よほど重要ですよ。
言っておきますが、別に河本氏個人を責めるつもりは全然なくて、もっと根本的なところの問題を考えたいと(けど、昼休みが終わるまでしか考えられないのです)。

一部のマスコミには、河本氏の母親が在日であると断定しています。その理由は、日本人なら息子の年収は厳しくチェックされるのに、されなかったのは在日の特権だから……だそうで。
在日かどうかは別にして、厳しくチェックされるというのは怪しいです。
実は、昔々、偏屈先生宅もちょっとの間だけ生活保護を受けていた時代がありました。そのときは、一家の大黒柱が死に、母親が難病で倒れ、しかも自宅が火事で丸焼けになるというトリプルパンチに見舞われてお先は真っ暗、生きる気力さえも(大人は)失ってましたからね。おまけに、そういう打ちひしがれているタイミングで、人の弱みにつけ込んで詐欺話を持ちかけてきたバカがいて、危うく一家心中する羽目に陥るところでした……。
でも、そんなときでも、生活保護を受けるのはすごく嫌でした。
別に社会的に権利を剥奪されるわけでもないのですが、「他人に養われている感」……ある意味で屈辱感に苛まれるのが嫌で嫌で。社会に対して、少しでも引け目を感じるのは本当に嫌なものだったんですね。

偏屈先生は、ちゃんと税金を払います。しかも、選挙にも欠かさず出かけます。それは、何も日本国民としての義務とか、「エエカッコシイ」のせいではありません。社会制度や政治に、こうやって好き勝手にモノを言うときに、(例えそれが「偏屈先生」なるペンネームであっても)少しでも引け目を感じたくないからです。つまり、対等にモノを言い、対等に扱われたいからでもありますし、「恥」を感じたくないからでもあります。

「恥」。「恥ずかしい」と思う心。
これが、今の世の中に欠けているものだと思うのです。
なぜ偏屈先生が生活保護についてブツブツ言っているのかというと、それが「権利」とか「既得権益」化しているからです。
偏屈先生の場合、早くそんなものを打ち切りたい、そんなものに頼らず生きていきたいと考え、一家全員で頑張りました。
でも今は逆です。
いかに働かず、「生活保護の権利」をキープするのかが生きるテクニックになっています。それどころか、生活保護を受けている親の子供は、その権利を世襲制みたいに受け継ぐのが当たり前だと思っているようです。嘘だと思われる方がいるかもしれませんが……もちろん全部がそうではありませんが……本当です。
父親と離婚した母親が、子供がいて働きに出かけられないので生活保護を受けたとします(それだって、正直どうかと思いますけど)。その子供が成人して、五体満足な男性だとします。彼は仕事にも行かず、毎月20万円前後の生活補助を受け取り、エアコンのある部屋でブルーレイビデオを見、冷たいビールを飲んで夏を過ごします。働くと受給が打ち切られるので、理由を付けて部屋から出ません。20万円は毎月使い切ります。貯金をしてはいけないからです(貯金をするとゆとりがあると見なされます)。市営や県営住宅に住めば家賃は免除されますし、税金やNHKの受信料さえ払わずに済みます。つまり、純粋に食費や服飾費、遊行費に100%遣えるわけです。家を出るときはパチンコです。

こんな事例はまだ健全な方で、地方の某所では、身体障害者を装って生活扶助を受け、プラスして生活保護を受けている人が沢山います。某ハローワークでは、働ける人たちに指導をしようとしても、そもそも理由を付けて指導を受けないし……その方が生活保護を受けやすくなりますので……本当に困っているそうです。

つまりね、「もらえるものはもらっておく」思想なんです。
別に子供の年収が何千万円だろうが、「もらえるものはもらっておく」のです。だって、それが「権利」なんですから。

偏屈先生は、それは恥ずかしいこと=「恥」だと思います。
でも、そう思わない人は一杯いるのです。むしろそちらの方が多数派かもしれません。
上の「毎月20万円」の例を、「うらやましい!」と思っている人は多いのです。
それが日本の現状で、河本氏の例なんか、氷山の一角どころか石ころくらいなもの。それを知っていて大騒ぎするのはバカバカしいと思います。

このコラムで偏屈先生が言いたいのは、金環日食の陰の部分があまりに大きいと、それは陰ではなく本体となり、周りの光源が「輪」になってしまう、ということ……それが、日本の実情と重なるのです。
太陽を「恥をかきたくない」「自分のペースで生きたい」「自分を輝かせたい」と思う心だとすると、陰の部分(本物は月の影ですが)は「権利」「楽」「世襲制」という負の部分になります。今、光源に重なる負の部分がどんどん多くなっています……だからこそ、偏屈先生は生活保護を不正受給している方々に尋ねたい。「何のために生きているのですが?」

すごくキツイ言い方をします。
20万円を使うことだけに邁進している生き方に、意味があるとは思えません。もちろん、生命は大切です。それを維持することは、本能的に正解です。だからこそ、社会の中で、生命を無駄使いすることは罪です。
「じゃあ、お前の生き方に意味があって、上の例には無いのかよ?」とおっしゃる方もいるでしょう。誤解を恐れずに言えば、「そう思います」。
少なくとも、ただ生きるだけのために、国庫を食い散らかすような輩は、全員死んでください。生活保護は、あくまで「生活改善」ができるまでの「保護」であり、暫定的なものであるべきです。
本当に生きるのに辛い思いをされている方は沢山います。ならばこそ、現状に甘え、甘い汁を吸い続けることだけを考えている輩は罪人だと思います。

それだけではありません。
それを知りながら、公平に受給状態をチェックせず、「お役所仕事」で事を済ませようとする役人も、すべて同罪です。
民生委員は、いったい何をやっているのでしょう?(そんな制度はまだあるの?)

恥を忘れ、甘えの構造にどっぷり浸かっているのが、日本の実情です。
北欧とかの高福祉国家はなぜ自殺率が高いのか、この国のお役人は真摯に考える必要があるでしょう。

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