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2013年5月15日 (水)

小橋建太選手の引退試合をLIVEで観戦しました

今日は。「きょうは」じゃなくて「こんにちは」。もしくは、今晩は、かな。
日本語は難しいですね。

・・・などとうだうだ言っている間に、5月に入ってしまいました。
実は、偏屈先生はGWはほとんど何もせず。楽しみにしていたのは、GWの5月11日(土)の日本武道館。
そう、プロレスラー小橋建太選手(以下「小橋」)の引退試合でした。

小橋は11日現在でノア所属……じゃなかったですよね? 確か、取締役は辞任(という建前の解任)したし、選手契約もしていなかったはず。
噂によると、武道館使用をノア名義で申し込んだときに断られたとか。それが最終的に認められたのは、小橋や三沢が培ってきた使用実績がものを言ったんでしょう。

とは言っても、武道館には行けなかったんです、チケットが取れなくて。
仕方なく、横浜の某所でライブビューイングを見ていました。現場に行けなくても、どうしてもLIVEで同じ時間を共有したかったんです。

そして、試合はつつがなく終わり、小橋は「普通の体格の良いおっさん」になりました。

小橋建太(昔は健太)について、ちょっと想い出を語ります。

Perfumeの話をすると、皆に「誰が好きなの?」と聞かれます。
あえて言えばのっちなんですけど、別に誰押しとかはないんですよ。Perfumeという存在そのものが好きなんですね。
プロレスも同じです。誰が好きというより、ノアの(というか、誤解を恐れずに言えば馬場さんから脈々と受け継がれてきた全日系の)プロレスが好きだったんです。
その中で、個人名を挙げるとすれば、どうしても「小橋建太」になります。

小橋を知ったのは、今から23年前の1990年(バブルの絶頂期ですな)に天龍がSWSに移籍するために全日本プロレスを離脱、同時に谷津や冬木、北原などもごそっと抜けて、全日マットに最大の危機が訪れていたときです。

大看板のジャンボ鶴田は残っていたものの、馬場さんはすでに一線を退いていて外人以外に体格が合う選手もおらず、宝の持ち腐れ状態が続いていました。かろうじて日テレの放送は続いてはいましたが、すでに深夜番組に落とし込まれており、馬場さんの顔が無かったらとっくに打ち切りの憂き目にあっていた状況だったと思います。

当時、革命軍の大将として大人気の天龍が抜け、長州一派も新日に出戻りしたこともあって、「全日はつまんなーい」という空気が充満していたのは紛れもない事実。しばらくの間、会場には閑古鳥が鳴きまくっておりました。
当然、偏屈先生も急激にプロレスに対する興味が失せ、しばらくTV中継も見ずに遠ざかっていたのです。

そんなある日、たまたま深夜にTVを点けたときに流れてきたのが、件の『全日本プロレス中継』でした。
「プロレスかぁ。つまんねーな」とチャンネルを変えようとした偏屈先生の目に飛び込んできたのが、この小橋(当時は健太)と「火の玉小僧」菊地毅だったのです。
あまり体の大きくないこの二人が、何故か「怪物」と化したジャンボ鶴田いたぶられるのなんの。小橋はバックドロップで叩きつけられ、菊地はジャンボラリアートで木の葉のようにひらひらとマット上に舞い落ちるわけです。
でも、どんなに強く叩きのめされても、何度も何度も立ち上がってくる。まるでゾンビです。
偏屈先生は目が点になっただけではなく、画面に釘付けになってしまいました。
「全日本プロレス、面白いじゃん!!」
本当に、本当に素直にそう思いました。
そして、その日からまたプロレスが好きになりました。

後で知ったのは、旧世代のジャンボ鶴田軍(なぜか現社長の田上はこっちにいましたね)に対抗して、小橋や菊地、そして三沢や川田が「超世代軍」と名乗って全日マットの世代交代を押し進めているということ。
そして、ジャンボがセミリタイア状態になったとき、三沢、川田、田上、小橋は「全日四天王」と呼ばれる特別な存在になりました。

でも、小橋はいつも最後尾にいましたね。
三沢がジャンボを超え、川田が三沢を超え、田上が三冠チャンピオンになっても、最年少の小橋は「永遠の若手」みたいな感じで、常に№2か3だったように思います。

「タフマンコンテスト」と蔑称された四天王スタイル。危険な技を掛け合い、そこからカウント2.9で起き上がって反撃を加える、命を削った戦い。特に小橋は誰よりも大技を受け、何度も立ち上がってきました……。ハンセンにラリアートでトップロープから叩き落とされ、ウィリアムスにバックドロップドライバーで脳天から串刺しにされ、ゴディにはパワーボムでマットに叩きつけられても、簡単に試合を終わらせることはしませんでした。

しかし、その「ツケ」は、盟友であり兄貴と慕う三沢の「死」、そして小橋自身の内臓疾患や膝、肘、首の損傷となって現れたのです。

小橋と聞いて、チョップを思い浮かべるファンが多いかもしれません。でも、昔から見ていた人は知っています。膝の故障で下半身が思うように使えず、上半身で試合を組み立てるために使ったのがチョップであり、「器用貧乏」とまで言われた小橋の本来のファイトスタイルはそうではなかったということを……。

だから、小橋が「引退」と聞いて、正直ホッとしました。
腎臓ガンで二つある腎臓のひとつを摘出した人間が、何よりも体力を使うプロレスを続けるなんて、バカげています。頸椎を損傷している人間が、頭からマットに落ちるなんてキチガイ沙汰です。

誤解を恐れずに言えば、プロレスはショーです。格闘技ではありません。格闘技は、自分が受けるダメージを最小限に止め、相手を効率よく仕留めるために急所を狙う競技です。でも、プロレスはそうではない。相手の一番強烈な技を受け、相手の一番強い部分を痛めつける「強さを見せ合う競技」だと思うのです。

小橋は誰よりも、それを極限までやっちゃう人なんです。
だからこそ、ファンなればこそ、引退すれば命は長らえるかも……そう思ってしまうのです。

引退試合中も、ハラハラでした。無理をしないか、内臓や傷めている身体の部分をさらに悪化させやしないか……と。
正直、目を覆うような場面もありました(KENTAのダイビングフットスタンプとか。なんてことするんだ!)。
でも、彼はそれに耐えて、それ以上の技を見せてくれました。

どこまでも、いつまでも、小橋建太だったんです。

試合が終わって……実況の菅谷アナウンサーは超下手でした……日テレで一番プロレスを愛している矢島アナウンサーのインタビューが、また素晴らしいものでした。
その中で、一番心に残っていること、それは矢島アナウンサーに三沢へはどう報告するかと聞かれて、「三沢さん、馬場さんには心の中で『引退します』と天国に届くように言いました」とつぶやいた小橋の真摯さ、そして巻き起こった三沢コールに対して「今の三沢コールは、引退試合のできなかった三沢さんへの皆のコールだと思う」と言ってくれた気遣いでした。

土曜日は無事に終わってホッとした偏屈先生ですが、次の日に三沢との三冠戦のビデオを見ていたら、そんなことを思い出して涙が止まらなくて、本当に困りました。

ありがとうございました、小橋選手。
26年間、いい夢を見させていただきました。
あなたは偏屈先生の青春のシンボルでした。

ありがとう。

P.S. なんで菊地は武道館に来なかったのだろう……。

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