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2014年1月23日 (木)

ちょっと、おこ。

いきなりだが、ネットにこんなページがあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/matsui6520/13711321.html

この中に、某大学生が書いた「批評文」なるものが載っており、それに対して担当非常勤講師(某大学の名誉教授だそうな)が評価を下している。
横浜の南端、金沢区に「やや利口」「すごくバカ」の二つの大学があり、この非常勤講師氏はその二つともに授業コマを持っているらしいので、この文章もどちらかの学生が書いたものなのだろう。内容のレベルから考えると、「すごくバカ」の学校のような気がするが……最近はよーわからんので断言はできない。

で、偏屈先生が何を言いたいのかというとだ、つまり「こんな文章をネットに載せるんじゃねーよ」ということである。
理由は簡単、何の根拠もないことを伝聞と憶測で書き散らかしたバカと、そのバカの文章を地元のGGEのくせに何のウラも取らずに「公共の場」に乗っけてしまう非常勤講師氏の非常識があまりにひどいから、である。
特に、地元を愛する横須賀市民としては、いわれのない中傷には断固反論しなくちゃね。

えーと、では何が問題だったのかを述べていこう。
まず学生の文章の中身について。

1.内容が事実に反すること。特に以下の下り。
・金沢に隣接する街、追浜の地名の由来を大学に入ってから耳にした。真実かどうかは定かではないが、聞いた話によると、『横浜から追い出されたから「追浜」という』らしい。なんとも切ない由来だと思ったが、本日の講義を聴いて多少なりとも追浜の印象は改善された。
・追浜同様、金沢も横浜と横須賀のはざまで発展した町であり、金沢は財政破綻の際に助け舟として横浜を選んだ。逆に追浜は横須賀を選んだのであろう。


ひと言で言うと、「んなわけねーだろ!」となる。
「本日の講義を聴いて多少なりとも」「改善された」と言ってはいるが、その後の文章を読んだ限りでは「横浜=金沢>追浜=横須賀」というこのバカの観念はいささかも変わってはいない。
冷静に反論すれば、『横浜から追い出されたから「追浜」という』事実はまったくないし、ちょっと考えればわかるはずだ。考えられないのであれば、学校の図書館か金沢の図書館で古地図にあたるか、ネットでちょっと検索すれば、そんなことはありえないのはどんな基地外だってわかるのだ。

追浜(おっぱまと読む)の地名の由来は、伝説によれば鎌倉時代にまでにさかのぼる。源 頼朝の兵に追われた弟、蒲冠者(カバノカンジャ)範頼が、浜辺で地元の漁師に助けられたことから、その浜辺は「追われ浜」と呼ばれ、「おっぱま」となった……とか。助けられたのではなく、追手に捉えられたという話もあるが、まあどっちでもいい。要するにだ、「追い出された」わけではないのである。個人的には、この辺りの海は潮の満ち引きが激しいので、先ほどまで浜辺だった所があっという間に海になってしまう様を「追い浜」と読んだのではないかと思うが。
さらに加えれば、「おっぱま」という地名は、「追い浜」に大正5年に横須賀海軍航空隊が開設され(追浜海岸一帯が海軍に接収されたのは明治43年)、昭和5年に湘南電鉄(現在のKQ)が追浜駅を造ったことに由来する。それまでは浦郷とか田浦の一部でしかなかったわけだ。

つ・ま・り、明治22年に町村制が施行されて以来、追浜周辺はずっと「横浜ではなかった」し、追浜という地名は横浜とは何の関係もないことは明白だ。ちなみに、このときは横須賀市ではなく「神奈川県三浦郡浦郷村」。要するに、「追浜は横須賀を選んだ」なんてことも絶対にないのである。
しつこく付け加えると、先述のように追浜海岸一帯は明治43年以来ずっと海軍が仕切ってきた地域であり、住民が「横浜市に入りたい」みたいな民意を抱けるはずもなく、ましてや入れなかった、追い出されちゃったみたいな「負」の歴史をわざわざ地名にするかね?
大学生の幼稚な頭でも、戦前戦後の時代性を考えれば、そんなことがあり得るわけがないことはわかるだろう? 腐っても栄光の「追浜航空隊」だぞ?

2.ネットの特性を全然考えていない。
百歩譲って、所詮大学生はガキだから、という考え方もあるだろう。
しかし、この文章をネットに乗せちゃいかんでしょーよ、非常勤講師殿。このお方は御齢72か73歳ですよ。おまけに横須賀に住んでいた経験もあるそうで。それなのに、「横須賀市に20年間住んだことのある評者もこの話は初めて聞いた。もしそれが本当なら、このうえない諧謔話だといえよう」とか、「伝聞話が実話だとすると、上記文はひじょうにおもしろい」とか気軽に言ってくれちゃってるんですけど、それって無責任では?
だって、どう考えたって稚拙なこの文章をですよ、非常勤講師として授業サンプル用にネットに晒してはいけないでしょう。本人は、文章表現の推敲プロセスとかポイントを明示したいだけかもしれないですけど、現住民たちから見れば、思い切り「金沢>追浜」論になっているんですから。

本人は絶対にそう認識していないと思うのだが、これではいわゆる「バカッター」と同じ。行為としては大したことでなくても、結果的に様ざまな人間を攻撃しちゃってるんですから。そういう意味ではこのブログだって同じであるが、ここの場合は「偏屈先生本人が自覚している」のが大きな違いと言える。自覚しているからこそ、抗議があれば受けて立ちますし、間違ってたら謝ります。
でも、この大学生の文章はなぁ。「歴史学」の講義の一環らしいのだが、まず憶測とか思い込みを「歴史」として表現してしまうと、某国のファンタジー歴史と同じになっちゃうぞ、と言いたい。

※ひとつだけ。大学生の文章の最後にある「横須賀・横浜の境界線も曖昧な感じがする」というのは真実。実際、横浜と横須賀の境界線の一部は、昭和40年代までは確定していなかったはず。

では次の話題。

佐久間正英さんが亡くなられた件。
偏屈先生としては、プロデューサーとしての佐久間さんよりも、「四人囃子」というバンドのベーシストとしての佐久間さんのイメージが強いんです。
以前、Deep PurpleにいたRitchie BlackmoreがRAINBOWというバンドを率いて武道館公演をやったとき、そのオープニングアクトが四人囃子だったんですねぇ。そもそも四人囃子はプログレッシブロックということになっていたので、「なぜRAINBOWの前座に?」という疑問はありましたが、演奏のち密さでは明らかにメインを食っておりました(音のデカさは全然違ってましたけど)。それが佐久間さんを観た最初の機会でしたね。
佐久間さんはベーシストというより、ギターやキーボードもこなすマルチプレイヤーだったんですが、何せ四人囃子には森園勝敏という天才ギタリストがおりましたので、バックに徹していた感がありました(スタジオでの音作りはリードを取っていたみたいですけど)。それゆえ、一般での知名度が低いのは歯がゆいばかりで……。
昨年末にNHKで放送した「ハロー・グッバイの日々~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~」では、すでにやせ細って立っているのもやっとの状態で、それでも理想の音作りへの飽くなき挑戦を止めない佐久間さんの姿は感動的でした。
大滝詠一さんに続いて、音楽界から貴重な人材(人財)が失われてしまったのは、大きな痛手と悲しみでしかありません。
お疲れさまでした。

最後に。
最近スパムメールが多いですよね。LINEのアカウントがどーのこーのとか。
で、注意したいのが、三菱東京UFJ銀行の本人認証サービスを騙ったフィッシングメールと、スクウェア・エニックスのアカウントの「安全確認」ってやつ。
どっちもあり得ないのですが、GGEとかBBAは騙されちゃうかもですね。
いや~、やはり詐欺師は頭がいいよね。ある意味、見習わなくちゃ(笑)。

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